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人生のよすが。

 一度一人になって己の行末を考えたいと思い、研究調査を兼ねて旅行をすることにした。電車での移動時間が長いので、最近出版された36代庄之助親方の『大相撲 行司さんのちょっといい話』をお供に購入。しかし、あろうことか本を家に忘れてしまい、帰宅して読む羽目になっている(そのため、本の内容とブログの内容も直接関係はしない)。
 大相撲を観戦するうちに、ある時期からどうも行司を好きになってしまった。年功序列社会で忍耐しながら修業を積む健気さ、人間性のにじみ出る掛け声・所作、独特の相撲字…彼らが司っているものは、それぞれの行司個人を越えた「伝統芸」と言ってもよい。

 36代の庄之助さんは、土俵上の所作が綺麗で、好きな行司さんの一人だった。また、立合前の厳かな動作とはうって変わって、一度軍配を返すと軽快な動きとリズミカルな掛け声で取組を盛り上げてくれる「静」と「動」も兼ね備えていた。本場所で声をかけて、気さくに写真撮影に応じていただいたこともある。

 相撲と行司を好きになってから、庄之助になった人もなれなかった人も、数多くの行司が土俵を去った。慣れ親しんだ姿をテレビ桟敷で見ることができなくなることに、一抹の寂しさを感じることも多かった。原則として入門順で地位が決まる現在の制度では、65歳の定年がとても窮屈に感じる。

 ただ、惜しんでも残念がっても、それでも庄之助は替っていく。新たに立行司となる人にも、それぞれの個性がある。そういう中で「芸」としての行司の文化が全体として(一つの“パッケージ”として?)継承されていくのではないかという思いが、最近している。

 うまく表現できないのだが、「替ることの悲しさ・寂しさを託つのではなく、脈々と継承されることの重みに目を向けた方がよい」といったところだろうか。
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